平々凡々

ぶたの絵や文章をかく人です。

ジョリーパスタから見た空もきれいだった。

東京に来た。東京と言っても、八王子の、しかも二駅先は神奈川の、そんなところなので、もはや東京と言うのは言い過ぎかもしれない。
けれど、実際住んでる人たちにとっては、ここは東京なので、それは失礼だ。
でもやっぱり、「どこにいくの?」と聞かれたら「神奈川よりの東京です」なんて答える自分がいる。

今住んでいるところも、もちろん好きだが、すれ違う人がまったく知らない人ばかりの環境に身を置きたくなる時もある。
それが叶うのがこの街だと思う。

マクドナルドにサブウェイ、映画館に、イトーヨーカドー、駅から徒歩5分圏内にコンビニ各社すべて揃っている。
チェーン店が軒を連ね、それはどこまでも画一的だ。

この街はどこまでもいつまでも変わらないなと思っていた。
だけれども、やはりそんな街でも変化はある。

イトーヨーカドーの2階にあったチェーンのカフェが閉店していた。
彼伝いで話は聞いていたが、実際に足を運んでみると見るも無惨、名残惜しむこともできず、それがあった場所は白いパーテーションで覆われてしまっていた。

大学生の頃から東京に来ると必ず寄っていたカフェだった。一人で勉強や読書したこともある。
安さもさることながら、気取った感じではなく、フードコートのような空間がお気に入りで蛍光灯の白い灯りが妙に落ち着いた。

イヤホンをして電子辞書で調べながら勉強する学生、パンパンになった買い物袋を椅子にのせ、まどろんでいるおじいさん、ベビーカーを気にしながらサンドウィッチを食べるお母さん、何かの会合の帰りか8人ぐらいのマダムたちが机を動かして、わいわい井戸端会議に華を咲かす。そんな何気ない日常がそこにはあった。

なくなったのはお店だが、そんな些細な日常もなくなってしまった。

日本各所、お馴染みだったお店がなくなってしまうことは、どこでもあることなのだろう。駅を降りてすぐ目の前にあったJINS成城石井になっていた。その奥にあったLOWRYS FARMはマツモトキヨシになっていた。

チェーンだから大丈夫なんてことは、ない。
むしろ、チェーンの方が売上にシビアな部分もあるのかもしれない。

お馴染みのカフェは確かにいつ行っても座ることができたし、店員さんも常時3人はいたので、どうやって採算を取っているのだろうと不思議には思っていた。

白いパーテーションをぼうっとしばらく眺め、踵を返す。

そのままエスカレーターを登り、5階にある洋風のご飯屋さんに入る。こちらもお気に入りの場所だ。マグカップパフェという小さなパフェとドリンクのセット(500円)が特にお気に入りで、訪れるときはそればかり食べていた。ホットコーヒーならおかわり自由なため、どんなに酷暑でもホットコーヒーを頼んだ。

今回も同じセットを頼むが600円になっていた。100円の値上がり。前は書かれていた「ホットコーヒーはおかわり自由」の記載はなくなっていた。なるほど色んなものが高騰している昨今だし、これはやむなしとアイスコーヒーを頼む。

注文をとってくれたのは、お馴染みの店員さんでそんなことに少しだけ安心した自分がいた。向こうは私のことなど覚えていないだろうが。

まったく知らない人ばかりの環境を望んでいたはずの自分だが、気づけば知っているもの、知っている風景、知っている顔を望んでいる。何かの確認作業のように自分の記憶と現実を照らし合わせ、それが合致するたびに安心している自分がいた。

その後、彼と合流してジョリーパスタに向かう。いつも頼むピザと自分達の健康を気遣って初めて頼む野菜多めのパスタを選んだ(そもそも健康を気遣うなら自炊した方がよいということは理解しているが、この日は時間がなかったのでと言い訳をしておく)。

注文後、ふと窓の外に目をやる。夕暮れの空は、今住んでいるところと同じぐらいきれいだった。そもそもこうやって比較することにどれほどの意味があるのだろう。今の環境と比べて、ここの環境よりも優れていると思いたかったのだろうか。そうでなければ、私は今そこに住んでいる意味を見いだせないのかもしれない。
あれはあるけど、これはない。あれはないけど、これはある。
過去との照らし合わせだけでなく、私は今住んでいる環境との照らし合わせをしていたのだ。

初めて頼んだパスタは美味しくて、思わずそのまま今まで頼んだことがなかったサイドメニューにも手を出した。チーズをあげたそれも美味しかった。ドリンクバーも初めて飲む紅茶を選んでみたりした。

紅茶は不発だったので、結局最後はホットコーヒーで口直しする。

そういえば、あの洋風のご飯屋さんでアイスコーヒーを飲み干したとき、隣から「ホットコーヒーはおかわり自由ですので」という声が聞こえた。
なるほど記載すると何かしらの不自由が出てきたのだろうが、しかしなんだか勿体無いことをしたような気分になったものである。