平々凡々

ぶたの絵や文章をかく人です。

今日あるいはあの日の日記

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「死のうとしたことある?」

と聞かれた。

「あるよ」

と答えた声はうまく出せていただろうか。

 

一気に記憶が蘇る。

新卒で入った会社を辞めてすぐ、とりあえず実家に帰った。

帰っていながら、普通なそぶりで、でもどこか気遣うような、よそよそしい態度をとる家族と顔を合わすのがしんどかった。

食事が喉を通らず、お粥をさらにドロッとさせたおもゆも少量しか摂ることができない。食べてもすぐ出してしまう。「こんな自分がご飯を食べるなんておこがましい」と当時は本気でそう思っていた。

 

初夏だった。

実家に生える木々の青々しさが苦々しかった。

昼間はまだ良い、夜になると実家に生えている木々が妖怪のように見えてくる。高校卒業まで見慣れた庭の木だったはずなのに、その晩、風に揺れる木々は何故か自分を責め立てているように感じた。

 

「無責任」

だと。

 

気づいたら台所に立っていた。1番大きな包丁を喉に突き立てて、目を瞑った。

 

 

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刺せなかった。から今これを書いている。

 

包丁を元あった場所に差し戻して、そんな自分も嫌でその場に泣き崩れた。

その時、どうしようもなく、ただ、自分の命を終わらすことができなかった。

 

その後も死のうとしたことは何度もあった。

住んでいたアパートの窓から、職場の窓から、横断歩道、歩道橋、駅のホーム……

それでもあの日のあの台所で死ねなかった私が、後の私の命を繋いだ。

 

「死のうとしたことある?」

 

あるよ。でも今生きているよ。

 

 

2022/02/17の日記

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昨日今日は休みで原稿がよく進んだ。しかし挿絵となるイラストはまだ終わっていない。下書きで満足してしまっている。

私の下書きは本当に下書きとも言えない下書き(丸を書いて車とか)なので後で泣きをみることは明白だ。

そうは言いつつ、来月の原稿の準備にも取り掛からないといけない。今日は来月の原稿の取材先に行った。まだ今月の原稿も終わっていないのに……

 

取材は30分程度で終わってしまい、自分が本当に取材に向いていないという情けなさと取材先への申し訳なさでいっぱいになる。相手に質問責めしてしまうか相手が答えてくれた内容を広げることができずに「ああ、へえ、すごいですね」とヘラヘラと気の抜けた返事をして終わってしまうかの二択だ。心の中では『「ああ、へえ」じゃないよ!』と小さな自分に叩かれているのだが、お粗末すぎる頭ではお粗末な返事しかできない。

 

今日は結局相手の話力に救われた。早く文字に起こしたい。この新鮮な気持ちを忘れないように。

 

私の文章を読んで「泣いちゃった」、「泣きそうになった」という感想をいただくことが結構あった。素直に嬉しい。

連載の文章を打つ時はその時の情景をまざまざと思い出してしまうので、打ってる私自身、書きながら泣いている。なんで自分で書いた文章で自分で泣いているのだと思うが、打っていると喉の奥がキュッとなり気づいたら泣いているのだ。

 

外気と変わらない寒い4畳半で26歳の女が、原稿に向かい震えながら泣いている姿は中々にシュールである。

 

今日はこの後自分もインタビューみたいなものを受ける。大学院生の友人の調査の手伝いである。ワクワクと不安が入り混じった気持ちになる。

2022/02/08の日記

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昨日は21時ごろに就寝したらしい。「らしい」というのは、人に送ったLINEの送信時間が20時半で、相手からの返信が21時過ぎでそれに気づいたのは今朝だからだ。LINEで自分の就寝時間を推定できるのはそれだけ私は最後までスマホをいじっているということで、TwitterInstagramをログアウトしていても私にとってスマホは手放せないものということでもある。

 

今朝は9時に起床。7時半に起きたもののそこからうつらうつらしていたため、1時間半は布団の中にいた。12時間睡眠とはフリーターの特権かもしれない。夢を見た。

 

ホテルに泊まっている。それも少しいいホテル。ホテルにはコメダ珈琲店UCCを合わせたようなカフェがあって、そこでシロノワール(デニッシュパンみたいなのにソフトクリームがのった食べ物)を注文しようとするも今は「マリトッツオタイプしかありません」と言われ、それを注文するが「閉店が17時半でもう衛生的に売ることができません」と言われ一悶着する。結局シロノワールもマリトッツォも食べることができずにすごすご部屋に戻ろうとすると、レゴブロックで作ったようなゴジラがホテルに襲いかかってきていた。急いで部屋に戻ってお風呂に隠れるも、そのゴジラの手下みたいな恐竜2匹に見つかる。

 

というところで目が覚めた。ゴジラなのかジュラシックパークなのかどちらかにしてほしい。夢は記憶の整理をしていると聞いた。

コメダ珈琲UCCの合いの子みたいなカフェが出てきたのは、最近バイト先で何かとコメダ珈琲のことが話題に上がるせいだろう。ゴジラの理由は分からない。

 

最近の楽しみはマーブルチョコのおまけのシール集めと刺繍、バイト終わりにいつもの場所で海と渡船を眺めること。

現在マーブルチョコのシールは21試合165敗だ。(5敗というのはダブったということです)

 

ここ3日ぐらいでやっと不安な気持ちが落ち着いてきている。よしよしいい調子だ。でも調子に乗りすぎないで。

 

今日こそ原稿やらねば。

2022/02/05の日記

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寒い。寒いが過ぎる。せっかく早く風呂に入って原稿をしようと思ったのに、2時間弱何もできずにYouTubeでひたすら自分にとっての懐メロを聞いていた。

 

最近猫と戯れることが多い。大体家の近くに寄ってくる猫に相手してもらっているが昨日は海岸沿いの猫とじゃれた。何だか少し浮気をしてしまったような気持ちにもなる。だが、彼らには何も意味もない通りすがりの誰かである。

 

猫は好きだが、猫のような人間は嫌いだ。

 

今日はもう眠い。おやすみなさい。

 

と書いて終わった2/5。

「猫は好きだが、猫のような人間は嫌いだ。」

のフレーズは漫画で使いたいなと思っている。最近「これ漫画にしたいな」と思う風景や言葉にたくさん出会うし、妄想も広がっている。頭の中にあるうちは全て最高傑作だ。

 

2/5も寒かったらしいが今日も寒い。外気とほぼ変わらない自室を山善の電気ストーブがなんとか無理くり温めてくれている。いよいよ限界かもしれない。

そして過去の自分よ、その日に原稿頑張ってくれていたら今困らずに済んでいたのに……。

2022/02/02の日記

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漫画を描くときは文章の方が先に立つ。文章を描いてから漫画を描くことの方が多い。だから私の漫画は絵より文字が与える情報量が多く、説明的になりがちだ。

 

人とコミュニケーションを取る時も、直接的な、相手を前にした会話よりもメッセージやメールの方が自分の伝えたいことをより正確に伝えられる気がしている。

 

私にとって文字に起こすということはそういうことだ。

 

あまりこういう言い方は好きではないが、私にとって文章を書くということはデトックスの意味合いが強い。

身体の中にある悶々とした気持ち、やるせなさを文字にぶつけることで整理している。

 

気持ちの整理を兼ねて少し長い日記を始めてみようと思う。

毎日はできないだろうから溜まったら出すぐらいの頻度で。

 

と思ったらしく2022/2/2からiPhoneのメモ機能に定期的に日記をしたためるようになった。仕事の原稿をほっぽりだして何をやってるんだ私は……と少々情けなくなる。しかもこの日記があまりに面白くない。完璧な深夜テンションで書いていて、これじゃ思春期の夜に書いた手紙と一緒じゃないかと思う。恥をしのんで公開する。これもちょっとしたリハビリだと思おう。

 

2022/02/02の日記。

昨晩というか深夜にキャロットケーキを焼いていたため、17時まで寝ていた。途中起きて焼いたケーキやプリンを食すなどするも、その後すぐ寝たので実質12時間以上は寝ている。

 

本当は今日、兄の買取を手伝う予定だったのだが、このところ続く、やる気のなさ、しんどさ、寝ても寝ても眠い、人に会いたくないといった諸症状のために2日前にキャンセルした。兄よ、ごめん。妹はしんどいと言いつつ、ケーキを焼く元気はありました。

 

寝過ぎによって頭痛に苦しむ。苦しみながら、漫画スラムダンクを読んで陵南戦の最後のところで泣く。自分にまだ漫画を読んで泣く余力があることに気づき、少しほっとした。そもそも漫画を読むことができるだけ健康なのかもしれない。

 

ゴロゴロとした後、ポプラにて甘いもの(トッポとアイス)を買って食べる。アイスは最近友人が好きだと言っていたアイスを選んでみたが、なるほどおいしい。

 

やっと頭痛が落ち着いてから、色々と行動し始める。日記、絵日記、家計簿、バイト着の割烹着にボタンをつけたり、明日キャロットケーキをもう一度焼くために材料の計量をしたりなど。書き起こしてみると意外と充実した生活を送っているように思えてくるし、そんなに調子悪くないんじゃないかとなってくる。

 

でも確かにここ最近は調子が悪かったのだ。絵を描く元気がなかった。ペンも握りたくなかった。絵や文章をSNSにアップする自分に吐き気がするときさえあった。濁流のように意図せず流れ込む情報に異常に反応し、ささくれ立っていた。

だからSNSから離れた。

 

誰にも会いたくなかったし、誰とも話したくなかった。ただ温かい布団の中で目を瞑っていたかった。

 

それでも時間が経つと、布団から出たくなる。温かいと思った布団が生ぬるく感じたり、着ている服が少し汗でじっとり自分にまとわりついているような気持ちになる。ああ、誰かと話したい。

 

人に会いたくないと思いながら、結局は人を求めている。

 

23時すぎて、兄の店に行く。手伝えなかったことを詫びる。一緒に飲み物を買いに行く。景気の悪そうな兄のために本を3冊ほど見繕う。お客さんが来たので退散。外に出ると隣のシェアハウスの子が煙草を吸っていた。

 

だめだよと声をかけてむっちゃんに言われたくないと言われて、何だか安心して家に帰る。

 

ここまで書いて、今日は終わり。

 

以上がこの日の日記である。なんとも面白くないし、キャロットケーキというところが読み返していて生意気だし、なんともしみったれた文章である。後日談になるが翌日焼いたキャロットケーキには肝心のキャロットを入れ忘れた。すりおろされた人参の気持ちになって見てほしい。憐れである。

が、これが私の日常。

あくまで平々凡々。今日からよろしくお願いします。